インタビュー
2ヶ月前

誰しも立ち止まり、 迷い、 そして踏み出した人生の瞬間がある。 医師の原点や転換点にフォーカスするインタビュー企画 「Doctor’s Career」。 今回は、 関西医科大学 呼吸器腫瘍内科学講座助教の勝島詩恵先生 (久留米大卒) に話を聞いた。 (全4回の第2回)
「がんは片手間ではできない。 一度がんにどっぷり浸からないといけない」
拠点を大阪に移し、 呼吸器内科医として、 がん診療に直面する日々を送った。 自身が診療してきた患者の半数近くは肺がんで、 しっかり勉強する必要性を肌で感じていた。

そして医師8年目、 大阪市立総合医療センターの腫瘍内科へ。 臓器横断で診る腫瘍内科は、 さまざまな合併症を抱えている患者にも向き合う。
「がんの総合診療のようだった。 かつて総合診療医になりたいと思っていた私にとって、 とても面白い領域でした」
がんと向き合う中、 落ち込んだ時期もあった。 最先端の医療センターで様々な治験や臨床試験を経験し、 確かな手ごたえをつかむことがある一方、 どんな治療を施しても歯がたたない厳しい現実を突き付けられることも多かったからだ。

忘れられない患者との出会いもあった。 バーテンダーの50代男性。 抗がん剤治療を続け、 「元気になって、 また店に戻ろうね」 と励ましていたが、 やがてベッドに寝たきりになり、 亡くなった。
生前、 男性は言った。 「先生、 ケモしたら元気になって、 また自分の店に立てるって言ったじゃん。 約束したじゃん」

「めちゃくちゃショックでした。 私、 何やってるんだろうなって。 患者さんの命を救いたくて医者になったはずなのに…と」
最先端の病院なのに、 患者はどんどんやせ細って亡くなっていく。 どんなに治療をしても治らないものは治らない。
「本人も家族も懸命にケモを頑張っているのに…。 いったい誰がハッピーになっているんだろうと悩みました」

自問自答を続けて苦しんでいたが、 患者とその家族と接するうちに、 少しずつ役割の捉え方に変化が出てきた。
亡くなった患者の家族と10年以上年賀状のやりとりをしたり、 終末期の患者のウェディングドレス姿の披露会を病室でしたり、 ホスピスに転院する患者と記念写真を撮ったり……。
「治せるものは治す。 でも治せないものなら、 闘い続けるだけが医療ではない。 患者さんが最期にソフトランディングできるように支えるのも、 私の仕事なのでは、 と考えるようになりました」
「墜落するのではなく、 一緒にふわっと降りる。 『いい旅だったね』と心から伝えられる。 そんな医師になりたい。 自分の中で少しずつ咀嚼できるようになりました」


編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。
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