インタビュー
21日前

2024年4月に、 社会医療法人近森会の理事長に就任した入江博之氏。 心臓血管外科医として国内外で研鑽を積み、 長年第一線で無数の命を救ってきた。 同氏に、 地域に根付く病院の経営を受け継いだ思いや、 迫り来る南海トラフ巨大地震から 「生き残る」 病院づくりへの挑戦について聞いた。
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――医師を志し、 国内外で経験を積まれたこれまでの歩みを教えてください。
「私が医師になろうと思ったのは高校生の時です。 ケガの治療中に体調が急変したことで入院し、 医療に助けられた経験から医師を志しました。 心臓外科を選んだのは、 『勝負が早い』ことに惹かれたからです。 心臓の手術は難易度が高いですが、 成功すれば患者さんが確実に回復する点にやりがいを感じました」

「大学卒業後は同大学第二外科に入局し、 1989年にはアメリカ・オハイオ州のクリーブランドクリニックへ留学。 スペシャルフェローとして、 全置換型人工心臓の埋め込み研究に従事しました。 さらに1996年にはニュージーランドのオークランド大学グリーンレーン病院にて胸部心臓血管外科のシニアレジストラとして研鑽を積む機会を得ました。 各国の学会からトラベルフェローシップを受賞するなど、 国際的な視点と技術を身につけながら心臓外科医としてのキャリアを積んできました」
――近森病院に入職したきっかけについて教えてください。
「近森病院が、 民間病院としては県内初の本格的な心臓血管外科の開設を計画していた際、 当時私が在籍していた岡山大学へ心臓外科医を探しに来られたことがきっかけです。 もともと近森病院が循環器内科に力を入れていたことは知っており、 『心臓血管外科との相乗効果で、 より良い医療を提供できるのでは』と思い興味を持ちました。 また、 故郷に貢献できることも決め手になりました」

「2000年4月の心臓外科立ち上げに合わせ、 新しい手術室やICUの開設など、十分な設備を整えていただきました。 その後、 ハートセンターを設立しました」
――2024年4月に理事長就任後、 経営において心がけていることを教えて下さい。
「理事長として最も心がけているのは、 まずは生き残れる病院になることです。 これには、 地域の皆さんに信頼される医療機関として生き残ること、 そして災害拠点病院として大きな自然災害からも生き残ることという2つの意味があります」

「地域の信頼を獲得するためには、 日々の日常の積み重ねしかありません。 信頼を得るのは一朝一夕では叶いませんが、 壊れるのは一瞬です。 目の前の1例1例の診療に対し、 大切に真摯に向き合い続けていかなければなりません」
「また、 地域に貢献できてこその医療機関です。 その価値は『医療レベル × 患者数 × 診療期間』で表され、 高いレベルの医療を、 多くの患者さんに、 安定して長期にわたって提供できることが大切であると考えます。 私の好きな言葉に『幸せな人が、 幸せな人をつくる』があります。 職員の教育制度や環境を整備し、 『満足がいく医療を提供できた』と幸せを感じられることが、 結果として患者さんへの良質な医療提供につながると信じています」
――災害拠点病院としての備えについてもお聞かせください。
「高知市中心部に位置する当院は、 南海トラフ巨大地震が発生した際には最大2メートルの津波浸水が想定されています。 浸水時には、 公共の道路を挟んで建っている病院の各建物が孤立してしまう恐れがあるほか、 1階にある薬剤部が水没し、 命をつなぐための医薬品が使えなくなってしまうという大きな課題を抱えていました。 そこで、 災害拠点病院としていかなる状況下でも命を守り抜くため、 『空の架け橋プロジェクト』を遂行しました」

「具体的には、 老朽化した立体駐車場を解体して新たに6階建ての薬剤棟を建設し、 本館と北館をつなぐ空中通路を設置しました。 これにより津波の被害を避けて上層階で医薬品を安全に保管し、 建物間で患者さんやスタッフが移動できる『命をつなぐ道』を確保します」
「このプロジェクトにはクラウドファンディングも活用し、 目標額を大きく超える1300万円以上のご支援をいただきました。 なお、 2026年6月末に工事は無事完了し、 7月7日には施工記念式を執り行いました。 前理事長である近森正幸相談役から引き継いだ『救急の近森』という“たすき”を次世代に確実に渡せるまでを使命と考え、 高知の医療の最後の砦として挑戦を続けていきたいと考えています 」


編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。
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