インタビュー
14日前

自治医科大学附属病院のそばにある 「れもん在宅クリニック」 (栃木県下野市) の吉住直子院長は、 元臨床検査技師、 元ヘルパーという異色の経歴を持つ。 介護現場で感じた 「医療と介護の乖離」 が、 医師を志すきっかけになったという。
栃木県足利市出身の吉住さんが医療職を志したきっかけは、 闘病していた父の存在だった。 父は吉住さんが中学1年の頃に脳出血で倒れて入院し、 その時に肝臓がんも発覚。 以来、 自治医科大学附属病院で治療や手術を繰り返した。
「興味のある医療の世界で手に職をつけ、 人の役に立ちたい」

そう思った吉住さんは2005年に群馬大学医学部保健学科を卒業後、 臨床検査技師として同院で働き始めた。 しかし、 入職して半年後に父は亡くなった。
「医療従事者として父に何もできなかった」 と自分の無力さを感じるとともに、 こう思うようになった。 「人が死ぬことは変えられなくても、 人生の最期をどう過ごすかは変えられるのではないか」 ――。
吉住さんは母の反対を押し切って病院を退職。 実家を飛び出し、 知人が携わる有料老人ホームへ向かった。 住み込みのヘルパーとして働き始めた施設は 「普通の民家」 で、 認知症の高齢者が10人ほど暮らしていた。

アットホームな雰囲気の中、 入居者に背中を流してほしいと言われれば一緒に入浴し、 苦手だった料理も入居者に教わりながら覚えた。 「すごく楽しくて、 ヘルパーとして一生を終えてもいいと思っていました」
医療と介護の乖離に直面したのは、 100歳の女性が老衰で亡くなろうとしている時だった。 本人は最期まで施設で過ごすことを望んでいたが、 定期訪問していた開業医は夜間往診や看取りを行っていなかった。 結果、 呼吸停止時に医師から救急搬送を指示され、 病院では本人や家族が望んでいなかった蘇生処置が施され、 死亡が確認された。
検査入院を機にADLが低下し、 ほぼ寝たきりの状態で施設に戻ってきた90代の女性もいた。 「変わり果てたおばあちゃんの姿を見て、 言葉が出ませんでした。 臓器への治療に重きを置くあまり、 お年寄りの気持ちや生活が配慮されていないと感じることがたくさんありました」

「介護も医師の判断に左右される」。 そう考えた吉住さんは医師になることを決意した。 休日や夜勤の空いた時間に勉強を重ね、 2009年に27歳で群馬大学医学部へ編入した。
初期研修先に選んだのは、 古巣の自治医科大学附属病院。 将来、 在宅医になることは決めていたが、 「医療の限界」 を知っておくことが必要と考えた。 「救命医療を知らなければ、 病院なら救える患者さんを今度は家に縛ってしまうかもしれないと考えたからです」

忘れられない患者がいる。 後期研修医時代、 呼吸器内科で出会った70代男性だ。 肺に胸腔ドレーンが挿入されていたが、 「家に帰りたい」 と訴え続けていた。 医学的リスクを考慮し、 帰宅を許可できなかったが、 男性はこう言った。
「医者として、 人として、 私のことをよく覚えておきなさい」
男性はその後、 病院で亡くなった。 吉住さんは在宅医療を学ぶうち、 当時の症例も在宅下で管理可能だと知った。 「あの時できなかったことを、 今の患者さんには届けたい」。 過去の悔恨が、 在宅医としての今に反映されている。


編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。
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