寄稿ライター
4ヶ月前

医療訴訟が珍しくなくなった今、 医師は法律と無関係ではいられない。 連載 「臨床医が知っておくべき法律問題」 第25回では、 健康診断や人間ドックでの見落としを巡る訴訟について、 裁判所の思考を整理する。
健診は症状のない人を母集団とするため、 感度より特異度に重きを置いた設計が必要である。 ところが一般の受診者は、 健診画像も 「精密検査と同レベル」 と捉えがちで、 「後から見れば腫瘍が写っていた=過失」 と考える傾向にある。
裁判官も同様で、 事後的に悪性腫瘍の存在を知った鑑定医が画像を評価したものを根拠に、 「健診での見落とし・過失」 を認定することがある。

実際、 筆者が担当した事件でも、 依頼範囲外 (偶発的に写った部位) の読影義務は負わないという判断を勝ち取った (最高裁令和7年9月18日決定、 東京高裁令和7年4月17日判決、 東京地裁令和6年9月26日判決) が、 胸部単純X線の陰影をどう評価するかは、 AIであっても母集団情報などを学習させない限り困難であろう。
過剰な責任追及が続くと、 健診現場は防衛的になり、 医療費増大・アクセス制限という社会的デメリットが生じる。

健診での画像は必ずしも高感度ではなく、 肺がんをX線で捉えられるかどうかは技術的限界がある。 死亡後に訴訟となるケースでは 「見落としていなければ死亡しなかった」 との主張が定型的だが、 実際には以下の2点が問題になる :
例えば 「誰が見てもわかる異常陰影が写っていた」 と主張されることもあるが、 もし本当に誰が見てもわかる陰影ならStage I ではない可能性が高く、 死亡回避を“高度の蓋然性”で立証するのは容易でないはずである。
また、 生前に 「前年の写真を見直すと写っていた」 と主張される場合は、 死亡事案以上に、 ステージ進行と損害額の評価が複雑化する。

東京地裁令和2年2月20日判決を紹介する。 骨転移を見落とし、 その後に肺がんが発見された64歳男性の事案。 健康診断担当医の読影は問題なしとされたが、 その後に受診した内科医の見落としが過失と認定された。
裁判所は、 「3か月早く化学療法を開始できていれば予後改善の可能性があったが、 高度の蓋然性とまではいえない」 としつつ、 「治療がより奏功した可能性」 を理由に300万円の慰謝料を認定した。
すなわち、 死亡回避の立証までは不要でも、 治療成績の一定の改善可能性で損害賠償が認められるという判断である。

東京地裁令和4年12月26日判決を見てみよう。 胸部CTで異常を指摘されながら気管支鏡検査を実施しなかった事案。 StageがⅡB→ⅢAへ進行した点について、 裁判所は以下のように整理した。
これらを踏まえ、 慰謝料200万円と評価した。 死亡に至らないケースでは、 損害は精神的苦痛が中心となる。

2025年10月、 静岡県立静岡がんセンターのマルチスライスCTを用いた高額ドックで肺がんを見落とされたとして、 遺族が約3,750万円を請求した訴訟が報道された。
詳細は割愛するが、 患者が受けた検査でも早期肺がんを必ず検出できるわけではない。 感度が高すぎれば偽陽性も増え、 結局は鑑別が困難になる。
報道では 「高額ドックなのに」 という遺族の発言が強調されたが、 医療は 「高い=必ず発見できる」 という仕組みではない。 価格差と医療水準を混同した論調は、 健診医の不要な萎縮を招きかねない。
ここは米国ではない。 医療は貧富の差をつけず、 だれでも平等に提供されるというのが、 日本の建前なのだ。

健診は一般診療ともがん治療とも異なる独自の医療行為であり、 その限界も制度設計上の特徴も、 受診者には理解されにくい。 そのギャップが、 事後的な 「写っていたはず」 論を生み、 医師に不利な評価へつながる。
限界を過不足なく伝える誠実な姿勢と、 事後評価に備えた合理的な記録――。 これらこそが、 健全な健診医療を守るための現実的な防御策となる。


編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。
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