「救急郷中会のつながりがキャリアや価値観を広げた」 鹿児島市立病院・平田医師、 鹿児島大学病院・瀬尾医師
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インタビュー

8日前

「救急郷中会のつながりがキャリアや価値観を広げた」 鹿児島市立病院・平田医師、 鹿児島大学病院・瀬尾医師

 「救急郷中会のつながりがキャリアや価値観を広げた」 鹿児島市立病院・平田医師、 鹿児島大学病院・瀬尾医師
鹿児島の若手救急医の有志が結成した教育グループ 「救急郷中会」 が人気を集めている。 2025年に共同代表に就任した平田悠哉先生(鹿児島市立病院集中治療部)と瀬尾浩希先生(鹿児島大学病院救命救急センター)にこれまでのキャリアや転機を聞いた。 

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動機

救急科で 「幅広く診る医師」 に

2人は出身大学こそ異なるものの、 同期の救急医だ。 2026年で医師7年目に入る。 数ある診療科の中で、 救急科を選んだ理由は何だったのか。

平田医師が卒業した自治医科大学は9年間の義務年限があり、 出身地の離島やへき地で地域医療に従事することが入学時点で決まっている。 浪人生時代、 予備校の講師からすすめられて受験。 学費の負担も免除され、 地元に戻って仕事ができるならと進学を決めたという。

 「救急郷中会のつながりがキャリアや価値観を広げた」 鹿児島市立病院・平田医師、 鹿児島大学病院・瀬尾医師
初期研修医時代の平田医師 (写真中央)

平田 : 「初期研修先は奄美大島の県立大島病院でした。 離島といっても奄美大島は便利な場所で遊ぶところもあり、 多くの同期もいたため個人的には楽しい思い出ばかりです。 もともとは小児科医を志望していましたが、 初期研修で“全ての臓器を診ないと気が済まない”自分の性格に気づきました。 研修先で良くしてくれた先生方も多くが救急医だったという影響もあり、 救急・集中治療の分野に進むことを決めました

 「救急郷中会のつながりがキャリアや価値観を広げた」 鹿児島市立病院・平田医師、 鹿児島大学病院・瀬尾医師
初期研修医時代の瀬尾医師 (右、 後ろから2列目)

瀬尾医師は宮崎県都城市の出身。 小学校時代からサッカーに打ち込み、 鹿児島大学医学部に進学してからも部活に明け暮れたという。 サッカー選手を目指すか迷った末、 医師への道を選ぶ。 病気の家族の存在も心にあった。

瀬尾 : 「鹿児島生協病院で初期研修を修了し、 その後は鹿児島大学病院の救急・集中治療科に入局しました。 平田先生と同じように、 人の身体全てを診る医師になりたくて救急医になりました。 私たちが入局した当時は救急郷中会のような組織もなく、 救急医を目指す人も今ほど多くはありませんでした

仕事

「かっこいいけど大変そう」 実際は?

突然の怪我や病気、 災害など一刻を争う救急医療の現場。 華やかな反面、 ハードなイメージもあるが、 実際に現場で働く2人はどのような日々を送っているのか。 鹿児島大学病院の救命救急センターで働く瀬尾医師は話す。

 「救急郷中会のつながりがキャリアや価値観を広げた」 鹿児島市立病院・平田医師、 鹿児島大学病院・瀬尾医師
ドクターヘリに搭乗し、 救急患者の治療に当たることもある

瀬尾 : 「救命救急センターの中でも、 4つの部門で臨機応変に動きながら働いています。 救急、 集中治療、 麻酔、 さらにドクターカーやドクターヘリに乗り込み、 プレホスピタル・ケアを行うこともあります。 率直な感想としては、 思ったよりハードではありません。 仕事自体は大変ですが、 シフト制でオン・オフが明確。 QOLは高いです

平田医師は県職員としてトカラ列島への巡回診療も経験。 2026年度からは、 鹿児島市立病院の救命救急センターに赴任している。

平田 : 「救急医療には目立つ瞬間があるのも事実です。 実際には華のある部分はほんの一部で、 地道に地味な仕事を積み重ねていく職業だと思います。 しかし、 救急医がその場にいなければ救えなかった命も確実にあり、 そうした意味では誰にでもできる仕事ではないと誇りを持ちながらやっています

つながり

世代交代で共同代表に

共同代表になった2025年、 救急郷中会の発起人でもある渋谷謙一医師から2人で役割を受け継いだ。 救急医療が多くの出会いを生み、 後進を育てる今の活動につながったという。

かつて鹿児島には救急医の横断的組織 「梁山泊友の会」 が存在したが、 中核となる医師の移動により消滅した【図1】

 「救急郷中会のつながりがキャリアや価値観を広げた」 鹿児島市立病院・平田医師、 鹿児島大学病院・瀬尾医師
【図1】 「梁山泊友の会」 の活動を通じて、 かつての鹿児島では優秀な後継者が続々と集まっていた

救急郷中会の初代代表・渋谷医師は、 当時の上司だった高間辰雄医師 (現・鹿児島市立病院救命救急センター副センター長) の後押しで、 鹿児島の救急医をつなぐ組織を復活させた。

平田 : 「渋谷先生と高間先生とは、 初期研修先の鹿児島県立大島病院で一緒に働いた仲です。 救急郷中会の発足時から私たちも活動に関わり、 世代交代する形で2人で代表を引き継ぎました

瀬尾 : 「私は同じ病院で働いていたわけではありませんが、 同期の平田先生と同じく渋谷先生、 高間先生には同じ鹿児島県内の救急科の先輩としてお世話になってきました。 救急郷中会の設立時から、 私たち2人が副代表を任せてもらっています

仕事と両立しながら1人で代表を務めるのは負担も大きく、 役割分担しながら活動を続けるために共同代表として2人が救急郷中会を引き継いだ。

人間関係がキャリアや価値観も広げる

救急郷中会の活動で学びの機会や人とのつながりが増えたことで、 得たものは多いと2人は話す。 講演会や勉強会には県外の参加者も多く、 活動を通じて全国に人脈が広がったという。

瀬尾 : 「活動を通じて親しくなった先生方と、 現在同じ職場で働いています。 教え合ったり見守ってくれたり、 良い関係性の中で仕事ができるのが本当にうれしいです。 県外の先生とも交流する機会があり、 ご縁があって2025年には神奈川県の聖マリアンナ医科大学に国内留学もしました

平田 : 「救急郷中会で企画した講演会の中で、 熊本地震における災害医療を扱いました。 支援に当たった医師だけではなく、 災害関連死でご家族を亡くした方のお話しも伺い、 講演会スタッフとしても参加して、 興味が増したタイミングで能登半島地震があったんです。 DMATとして能登の被災地にも赴き、 災害医療が自身の軸のひとつになりました。 離島医療を預かってきた医師としても、 真剣に向き合うべきテーマだと思っています

2人の成長と、 救急郷中会の動きに注目していきたい。

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HOKUTO編集部
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編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。

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