インタビュー
18日前

倉敷中央病院副院長の福岡敏雄医師は、 同院のICU立ち上げにも関わった救急・集中治療の先駆者だ。 泌尿器科を入口に集中治療と出会い、 独自のキャリアを築いてきた。 インタビュー後編では、 医師としての原点や数々の転機を聞いた。
>>前編はコチラ
大阪大学を卒業後、 泌尿器科で研修医生活をスタートした福岡先生。 なぜ、 この診療科を選んだのか。
「当時、 ⼊局せずに研修を受け⼊れてくれた唯⼀の外科系診療科だったからです。 医師になる前から診療科を決めることに抵抗がありました。“社会の役に⽴つ医者”になるには何をすべきか。 迷った末の選択でした」

当時の泌尿器科の教授は、 「しっかり指導するから」 と快く引き受けてくれたという。 医師1年⽬から、 重症患者の主治医も経験した。
「泌尿器科で重症患者の全⾝管理を経験し、 集中治療をもっと学びたいと思いました。 必ず社会の役に⽴つ分野だと確信を持ちました」
医師2年目、 大阪大学医学部附属病院のICUで研修を受ける。 当時は麻酔科医が兼務で集中治療を行う大学も多かったが、 同院はICU専属チームを置く珍しい病院だった。
「ICUに収容されている患者さんは、 リスクが高くつらい治療を受けています。 大変でしたが、 そのケアに真剣に向き合うチームの中で働くことが、 自分に合っていると思えたので、 自分自身のキャリアとして一生の仕事にしようと思いました」

しかし、 当時は集中治療医になるためのキャリアパスは存在しなかった。
「⼤阪⼤学のICUのチームも、 もともとは⿇酔科医をやっていた先⽣⽅が多数派でした。 しかし、⿇酔科医のキャリアを無理強いする⼈は誰⼀⼈おらず、 集中治療を学ぶための親⾝なアドバイスをたくさんしてくれました」
アドバイスに従って、 ⼤阪府⽴病院 (現 : ⼤阪急性期・総合医療センター) の⿇酔科で1年間研修を受ける。
次のステップとして福岡先生が選んだのは、 内科だった。 大阪大学のICUで一緒に働いた先輩医師の伝手を頼り、 倉敷中央病院の循環器内科を紹介してもらう。
「集中治療医として幅広い知識と視野を得たいと、 倉敷中央病院の循環器内科で3年間働きました。 ICU を出た後、 どのような回復過程をたどるかを学びたかったんです。 患者さんの受け⼊れから集中治療、 ⼊院後の居宅⽀援や復職⽀援まで関わりました」
医師になって7年⽬、 倉敷中央病院を紹介してくれた先輩医師が名古屋⼤学でICUを⽴ち上げており、 そこに福岡先⽣も合流。 集中治療医として充実した⽇々がスタートする。 名古屋⼤学では、休眠状態だった救急部の⽴て直しや、 救急・集中治療医学講座の設置にも加わった。

また、 救急・集中治療の疫学研究にもチャレンジ。 カナダでEBMの教え方に関するワークショップに参加し、 これを機に国内のさまざまなセミナーや研究班にも関わるようになった。
「⼤学には向いていないと思いながら、14年間名古屋⼤学にいました。 10年を超えた頃から、 キャリアチャレンジを目指して複数の医療機関と相談しました。 そこである院長に『集中治療医資格だけでは採用できない』と⾔われ、40過ぎで猛勉強して救急専⾨医・指導医の資格も取得。 後で振り返れば、 とても良いアドバイスでした」
名古屋大学にいた14年間、 福岡先生は卒後臨床研修センターの立ち上げにも関わった。 名古屋大学には、 「名大方式」 と呼ばれる伝統的な教育スタイルがある。 医局に入らず、 関連病院を回り自律的に学ぶというものだ。 この伝統を踏襲しつつ、 学内外で研修医を教育する体制の整備にも尽力した。
集中治療と救急、 そして医学教育にも携わったキャリアを買われ、 福岡先生は2006年に倉敷中央病院に戻る。 再入職後は、 救命救急センター長、 人材開発センター長などを歴任。 岡山県からの救命救急センター指定やICUの立ち上げ、 研修プログラムの整備など手腕を発揮した。
倉敷中央病院では、 福岡先生のように 「OB」 が戻ってくることも多いという。 研修医の出身大学も全国各地さまざまだ。 多様な人材が集まることで、 病院は進化してきた。

副院長となった現在、 福岡先生は自身のキャリアをこう振り返る。
「医局に属さず経験を積んだ私は、 同世代では異⾊のキャリアだと受けとめられます。 多くの⼈は『素晴らしいキャリア』だと褒めてくれますが、ちょっと傍観者的ですよね。 道なき道を⾛っている間は必死だったんです。 家族もいて、 ⽣活もありましたから」
先行き不透明な時代だからこそ、 自分の市場価値を高める姿勢が大事だと福岡先生は強調する。 医師のキャリアの自由度が増す一方で、 リスクも自分で負わなくてはならないからだ。
「直美を選ぶ研修医も過去にいました。 医学部を出て、 研修を修了すればキャリアは⾃由というのが私の考え。 実際に医師の起業家や、医療政策に携わる⼈もいます。 ただし、 準備とキャリアのリスクヘッジなしで⾃由診療に挑むのは危険です。引き返せる道は残しておくべきです」

福岡先生が現在力を入れるのは、 札幌医科大学とコラボした 「広域連携プログラム」 だ。 今年度から始動する新しい試みで、 初期研修の2年間で倉敷中央病院と北海道の2つの公立病院を回る。
「⾼度急性期と地域医療という対照的な2つの環境で働くことで、 医療の全体像を⾒て幅広い視野を身につけてほしい」
⽇本列島を縦断する研修を通して、 地域医療のリーダー育成を⽬指す。
独自のキャリアを歩んできた福岡先生に、 若い世代の医師たちへのアドバイスを聞いた。
「自分自身のキャリアを⾒極めるには、 相応の時間が必要です。 自分が選んだ道から得られるものを最⼤化する努⼒をしつつ、 リスクや悪影響を最小化する努力を惜しまないでください。 ⼈や組織を早合点せず、 じっくり吟味する“溜めの時間”を持ってほしいです」

情報が氾濫する世の中で、 良し悪しを瞬時に見抜くのは至難の業。 自分の努力が評価されるまでにも、 時間がかかる。
「⼈との出会いが⼈⽣をガラリと変えることも多い。 本気で⾃分のことを思ってアドバイスをくれる⼈は、 ⼤事にしてください。 その人のひと⾔に助けられることがあります」
倉敷中央病院では研修医教育の現場でも、 世代交代が進んでいる。 福岡先生が長年牽引してきた医師教育研修部の責任者は、 昨年、 救急科の越後谷良介医師に引き継がれた。
「越後谷先生たちが、 中堅・若手ならではの感覚で研修のあり方を見直してくれています。 今の研修医が何にモヤモヤし、 何を求めているかは、 私よりも彼らのほうがずっとリアルにわかっているはず。 私は後ろから支える側に回りたいと思っています」
岡山県倉敷市にある民間の急性期病院。 標榜診療科36科、 病床数1172床。 年間約1万台の救急搬送、 4万人以上の救急患者を受け入れる。 2026年4月1日時点での医師数は533人。
1923年 (大正12年)、 倉敷紡績株式会社社長の大原孫三郎によって創設。 「治療本位」 「病院くさくない明るい病院」 「東洋一の理想的な病院」 を設計思想とする。
「診療科や症例数が多くチャンスが豊富な環境です。 また、 民間病院のため自由な雰囲気です。 本人が望めば、 経営やマネジメントも幅広く学べます」 (福岡先生)。


編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。
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