インタビュー
10日前

診察室を飛び出し、 焼き芋を販売しながら地域の人とつながる 「医師焼き芋」。 平沼仁実さんの活動の根底には、 家庭医として患者のウェルビーイングに貢献したい思いがある。 現在は2つの医療機関で外来診療と在宅医療を行う。 2025年に入職した 「まちだ丘の上病院」 では、 理想としてきた医療を実践できる環境が整いつつあるという。
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家庭医を目指した背景には、 青森県で開業していた祖父の存在がある。 幼少期は 「普通のおじいちゃん」 だった。 小学1年の頃に祖父が他界した後、 祖母の家を訪れるたび、 地域の人から感謝の言葉をかけられるようになった。
「あなたのおじいちゃんに助けられたんだよ」。 何度も耳にしたその言葉が、 医師という仕事の意味を少しずつ形づくっていった。

医学部生だった2000年代前半、 祖父が行っていた家庭医療はまだ広く知られていなかった。 進路を描けないまま学生生活を送る中、 6年の頃に転機が訪れる。 福島県立医科大学に家庭医療学講座ができ、 第一人者である葛西龍樹氏が教授に就任した。
「私が目指していた医師は、 家庭医だったんだ」
葛西氏と出会ったことで、 進みたい道が一気に具体性を帯びた。 卒業後は地元の東京に戻りたい意向を葛西氏に伝えたところ、 河北総合病院で研修を受けられると知った。

「帰宅してすぐに調べました。 すると、 病院の見学申し込みの締め切りが、 その日だったんです」
滑り込みで申し込んだその一歩が、 家庭医の道に続くこととなった。
巡り合わせは、 その後も続いた。 同院での初期・後期研修を終えた後、 書店でたまたま手に取ったのが、 家庭医である生坂政臣氏の著書だった。 診断推論をテーマに、 原因不明とされる症状を理論的に診断する過程が紹介されていた。
「これはすごい、 と感銘を受けました」

生坂氏は1993年に米国で家庭医療専門医資格を取得し、 2003年に千葉大学医学部附属病院に総合診療科を創設した先駆者。 同科は診断困難例について他科から相談を受けるなど、 診断学の拠点となっていた。
「ここで学びたい」。 その思いから同科へ進み、 全国から集まる患者を診療した。 家庭医療のプロとして、 自信がついた時期だった。
現在は、 「武蔵国分寺公園クリニック」 で外来診療を、 「まちだ丘の上病院」 で在宅医療を行う。 2025年にまちだ丘の上病院に入職したきっかけは、 医師焼き芋を訪れた同院医師との出会いだった。 療養型病院である同院では、 「医療の枠にとどまらず、 地域の人の幸せを考えて行動しよう」 というビジョンを掲げる。 平沼さんが大切にしている 「病気だけでなく生活や人生をみる」 という価値観が浸透している。

70代の女性患者は、 病気で気分が落ち込み、 自宅にこもりがちだった。 かつてハーモニカを習っていたことを知った平沼さんは、 「一緒に練習しましょう」 と提案。 次の訪問では、 女性が先生、 平沼さんが生徒となる即席レッスンが始まった。 平沼さんの拙い演奏に女性の笑顔が戻り、 同行していた看護師もその輪に加わった。 「医療者」 と 「患者」 という壁が、 溶けた瞬間だった。

4年半の地域活動で実感したのは、 「楽しむこと」 の大切さだ。
「医療者がまちに出ようとする時、 課題解決を優先してしまいがち。 でも、 それでは地域になじめなかったり、 活動が続かなかったりすることがあります。 まずは自分がワクワクすること、 楽しいと思うことから始めて、 試行錯誤しながら続けていくことが大切。 医療者が自己犠牲で支えるのではなく、 自身も楽しみながら地域の人と一緒につくっていく。 その姿勢が、 地域の健康にもつながると思います」


編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。
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