インタビュー
7日前

福井県敦賀市で医療・介護・生活支援事業を展開する医療法人明峰会が2026年、 創業80年を迎えた。 3代目の木村晃朗理事長 (金沢医科大卒) は診療や経営に加え、 医師会活動や行政との連携にも力を注ぐ。 「ひたすら、 がむしゃらにやってきた」。 そう振り返る木村さんの歩みには、 祖父と父から受け継いだ地域への思いが息づいている。
現在の職員数は約150人。 医師や看護師に加え、 介護福祉士、 理学療法士、 作業療法士、 言語聴覚士、 管理栄養士、 社会福祉士、 ケアマネジャーといった多職種が在籍する。 同法人が運営する 「明峰クリニック」 には1日に約90~100人の外来患者、 約30~50人の健診受診者が訪れる。 在宅医療も行っており、 約20人の患者を訪問する。

近年は在宅患者の多くを佐々木規之副院長へ託し、 木村さん自身は医師会活動や行政関連業務、 産業医の活動に注力する。 2026年4月に敦賀市医師会の副会長に就任し、 在宅医療・介護連携、 地域医療構想、 介護保険などに関する委員を務めるほか、 産業医としては約40社を担当する。
「一つ一つお引き受けしていたら、 今のような状況になりました」 と木村さんは笑う。 「人と接するのが大好き」 という言葉通り、 地域の人々との関わりを大切にし、 医療・介護・行政の関係者から声がかかれば、 「できる限り応えたい」 と力を尽くしてきた。 そうした姿勢が、 現在の幅広い活動へとつながっている。
もっとも、 これまでの道のりは当初から描いていたものではなかったという。 転機となったのは2000年、 父の急逝だった。 明峰会の祖である 「木村医院」 は祖父の巌さんが1946年に開設し、 1965年に父の邦夫さんが継承した。 邦夫さんは診療所から 「木村病院」 に転換して経営を担っていたが、 自身の代で病院を閉じる考えだった。
木村さんは1991年に金沢医科大学を卒業。 研修を経て、 同大の協力病院である石川県の恵寿総合病院に勤務していた。 父からも 「自分の好きなことをやりなさい」 と言われ、 心臓血管外科を専門に勤務医として歩んでいくつもりだった。

その道を大きく変えたのが、 2000年に届いた父の訃報だ。 地元に戻った木村さんは、 父が病院経営によって残した借金がまだ数億円あることを知る。 病院には多くの患者や職員がいる。
「自分が継いで、 何とかしないといけない」
院内をくまなく見て回って環境や設備の改善点を洗い出し、 休日は妻と自転車で敦賀の町を巡る日々が始まった。
木村さんは院長に就任した2000年、 周辺に複数の急性期病院がある地域性を踏まえ、 一般病床を医療療養病床へ転換した。 さらに、 療養病床を巡る国の方針を見据え、 2009年に病床を廃止して明峰クリニックを開設。 その一方で、 療養病床が支えていた患者の受け皿をつくろうと、 同年に小規模サテライト型介護老人保健施設を立ち上げた。

2000年に施行された介護保険制度も、 木村さんの判断に影響を与えた。 恵寿総合病院の心臓血管外科科長として部科長会議に出席していた木村さんは、 医療と介護の連携が重要になると感じていた。 その考えから、 2002年に居宅介護支援事業所を、 2004年に介護老人保健施設と通所リハビリテーションを開設した。
経営と地域ニーズの両立を図りつつ、 時代に応じて柔軟に組織を変化させる――。 院長就任後の早い段階から、 木村さんは経営者としての視点で法人の将来を考えていた。 その判断の積み重ねが、 明峰クリニックを中心に医療・介護・生活支援の施設が建ち並ぶ現在の風景を形づくっていった。


編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。
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